↑1961年、日本を代表する作庭家重森三玲(1869~1975)がつくりあげた独坐庭。峨々たる蓬莱山に押し寄せる荒波を表現した海原は、高さ10センチにもおよぶ力強い波紋が印象的
↑独坐底の前に配置されている方丈(本堂)。半透明な障子、開放的な縁側、深い庇によって外部空間と内部空間の関係を明確に分けないことで、豊かな自然を感じさせる建築空間を形成している。中央に置かれているのは香炉
↑佗茶の大成者千利休(1522~1591)による2畳席の待庵(草庵茶室)を復元した平成待庵。千利休は茶の湯に禅の精神を取り入れた
沈黙
フランシスコ・ザビエルから洗礼を受けた九州の戦国大名大友宗麟(1530~1587)は、細川ガラシャの墓(高桐院)があることでも有名な京都市北区の臨済宗の禅寺・大徳寺に瑞峯院を建てた。
まだ肌寒い春先の朝5時30分、瑞峯院の本堂である方丈では坐禅が行われていた。禅の修行の根本である坐禅は「調身、調息、調心」の三要素から成る。姿勢(所作)が整うと呼吸が整い、呼吸が整うと心が整ってくることから、「三位一体」のなせる業とも言える。
坐禅は私たちキリスト者が日々実践している祈りの所作の一つである沈黙と関連しているのではないだろうか。沈黙は黙祷、黙想、観想などの物音のない状態や静かに落ち着いている態度である。沈黙は、「耳を傾けて わたしの言うことを聞け。沈黙せよ、わたしに語らせよ」(ヨブ記33・31)、「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ」(詩篇37・7)とあるように、神に向かう態度としての所作である。
祈りは沈黙に始まり、沈黙に終わる。沈黙を通して、祈りの言葉が与えられ、祈りが豊かにされるのである。
(月刊誌『信徒の友』「聖なる光と祈りの空間」2014年05月号より)